「闇の左手」 アーシュラ・K・ル・グィン ― 2008年08月28日 21時00分37秒
「闇の左手」 アーシュラ・K・ル・グィン
THE LEFT HAND OF DARKNESS
by Ursula K.Le Guin
(ハヤカワ文庫)
惑星連合エクーメンから“冬”の惑星ゲセンに、外交関係を締結すべく、使節として派遣されたゲンリー・アイ。この惑星で彼は、遺伝実験の結果生まれた、両性具有の特異な社会を形成している人類の末裔と対峙する。しかし、文化の壁に阻まれ交渉は進まず、やがて彼は逮捕・投獄されてしまう…。そんな彼に一人のゲセン人が手を差し延べる。
SFを読むのはいつ以来だろう。ファンタジーも含めるなら「指輪物語」以来か。「ジェイン・オースティンの読書会」でグリッグがジョスリンに読んで欲しいと差し出した1冊がこれ。ジョスリンは最初は貰ったままほったらかしだったものの、手にしたら 徹夜で数冊まとめて全部読んでしまった。
もともと読書好きの人間が、夢中になって読んでしまうなんてどんな?
私も久しぶりに手にしてみたというわけだ。
ル・グィン。あまり馴染みのない名前だったが、代表作を知って、おお、なるほど。「ゲド戦記」シリーズの作者なのだね。「闇の左手」は「ゲド戦記」とはまた別のシリーズ。
SFやファンタジーは登場人物の住む世界、生態系から言語や文化までひとつの世界を物語の舞台として作り上げるため、他の登場人物により物語が広がり、シリーズ化することが多い。ル・グィンも例に漏れず「闇の左手」も「ハイニッシュ・ユニヴァース」シリーズの1本。「ゲド戦記」に手をつけるのは無謀だし、これ1冊に留めておこうと思うが・・・さて「闇の左手」にはびっくりした。
最初のあらすじにも書いたが、舞台となるゲセンの人々はなんと両性具有!今までいろいろなSFを読んだがこれは初めてだ。通常見た目は男性で、26日周期のゲセンの新月の頃に訪れる発情期にパートナーとなる相手を見つけたカップルの片方が女性化する。受胎すれば妊娠、出産する。しなければまた元の体に戻り、次の発情期には女性化するのがもう片方の方ということもありえる。まー、びっくり(笑)。
でも、決してゲロゲロ描写のドロドロした話ではない。このゲセンに降り立った人間のゲンリー・アイの、文化の違いやゲセン各国の国民性によって被る災難に始まり、中盤以降は、ゲセン人エストラーベンとの友情の物語といってもいいかもしれない。そこには性を超えた不思議な空気が支配する絶妙の趣がある。
なんと説明したらよいものか非常に難しいので、こんなひっかけ陳腐な文章でも気になっていただけたら、一読をお薦めしたい♪
タイトルの「闇の左手」は作品中の歌の一節で「光は暗闇の左手 暗闇は光の右手」とある。“闇と光”、“右と左”、“男と女”のように、対極的なものの対立とその統合といったところが、ル・グィンのあらゆる作品を通して垣間見られるテーマなんだそうだ。両性具有という生態を用いた本作はその代表作ともいえ、SF小説には栄えあるヒューゴー賞、ネビュラ賞をともに受賞している。
なんて、そんなことはよくわからんが、私は楽しく読めたので善しとする。異星人同士の友情ものとしても、逃亡劇としても、冒険小説としてもいいような、一風変わったSFファンタジーだった。
しかしながらル・グィンの世界観は結構あちこちで影響を受けているようで、日本ではまさに「ゲド戦記」を手がけた宮崎駿。萩尾望都なんてル・グィンの影響ありありとみる者もある。そういう意味でも、とっかかりやすいSFファンタジー作家なのかもしれないね。
「ジェイン・オースティンの読書会」でグリッグも言っているのだが、ル・グィンは女性。それがまたちょっと驚きでもあったが、しかしだ。両性具有の登場人物がいるこんな話をオースティンを愛読する女性に薦めるグリッグの天然なキャラクターがここにきてまた笑えた。
女性らしいたおやかさと真逆の辛辣さを併せ持ち、文章の表情にメリハリがあってノリ始めてからは飽きが来ずに一気に読めたが、ジョスリンもそうだったのだろうか。
意外なところから出逢えた面白い1冊だった。
THE LEFT HAND OF DARKNESS
by Ursula K.Le Guin
(ハヤカワ文庫)
惑星連合エクーメンから“冬”の惑星ゲセンに、外交関係を締結すべく、使節として派遣されたゲンリー・アイ。この惑星で彼は、遺伝実験の結果生まれた、両性具有の特異な社会を形成している人類の末裔と対峙する。しかし、文化の壁に阻まれ交渉は進まず、やがて彼は逮捕・投獄されてしまう…。そんな彼に一人のゲセン人が手を差し延べる。
SFを読むのはいつ以来だろう。ファンタジーも含めるなら「指輪物語」以来か。「ジェイン・オースティンの読書会」でグリッグがジョスリンに読んで欲しいと差し出した1冊がこれ。ジョスリンは最初は貰ったままほったらかしだったものの、手にしたら 徹夜で数冊まとめて全部読んでしまった。
もともと読書好きの人間が、夢中になって読んでしまうなんてどんな?
私も久しぶりに手にしてみたというわけだ。
ル・グィン。あまり馴染みのない名前だったが、代表作を知って、おお、なるほど。「ゲド戦記」シリーズの作者なのだね。「闇の左手」は「ゲド戦記」とはまた別のシリーズ。
SFやファンタジーは登場人物の住む世界、生態系から言語や文化までひとつの世界を物語の舞台として作り上げるため、他の登場人物により物語が広がり、シリーズ化することが多い。ル・グィンも例に漏れず「闇の左手」も「ハイニッシュ・ユニヴァース」シリーズの1本。「ゲド戦記」に手をつけるのは無謀だし、これ1冊に留めておこうと思うが・・・さて「闇の左手」にはびっくりした。
最初のあらすじにも書いたが、舞台となるゲセンの人々はなんと両性具有!今までいろいろなSFを読んだがこれは初めてだ。通常見た目は男性で、26日周期のゲセンの新月の頃に訪れる発情期にパートナーとなる相手を見つけたカップルの片方が女性化する。受胎すれば妊娠、出産する。しなければまた元の体に戻り、次の発情期には女性化するのがもう片方の方ということもありえる。まー、びっくり(笑)。
でも、決してゲロゲロ描写のドロドロした話ではない。このゲセンに降り立った人間のゲンリー・アイの、文化の違いやゲセン各国の国民性によって被る災難に始まり、中盤以降は、ゲセン人エストラーベンとの友情の物語といってもいいかもしれない。そこには性を超えた不思議な空気が支配する絶妙の趣がある。
なんと説明したらよいものか非常に難しいので、こんなひっかけ陳腐な文章でも気になっていただけたら、一読をお薦めしたい♪
タイトルの「闇の左手」は作品中の歌の一節で「光は暗闇の左手 暗闇は光の右手」とある。“闇と光”、“右と左”、“男と女”のように、対極的なものの対立とその統合といったところが、ル・グィンのあらゆる作品を通して垣間見られるテーマなんだそうだ。両性具有という生態を用いた本作はその代表作ともいえ、SF小説には栄えあるヒューゴー賞、ネビュラ賞をともに受賞している。
なんて、そんなことはよくわからんが、私は楽しく読めたので善しとする。異星人同士の友情ものとしても、逃亡劇としても、冒険小説としてもいいような、一風変わったSFファンタジーだった。
しかしながらル・グィンの世界観は結構あちこちで影響を受けているようで、日本ではまさに「ゲド戦記」を手がけた宮崎駿。萩尾望都なんてル・グィンの影響ありありとみる者もある。そういう意味でも、とっかかりやすいSFファンタジー作家なのかもしれないね。
「ジェイン・オースティンの読書会」でグリッグも言っているのだが、ル・グィンは女性。それがまたちょっと驚きでもあったが、しかしだ。両性具有の登場人物がいるこんな話をオースティンを愛読する女性に薦めるグリッグの天然なキャラクターがここにきてまた笑えた。
女性らしいたおやかさと真逆の辛辣さを併せ持ち、文章の表情にメリハリがあってノリ始めてからは飽きが来ずに一気に読めたが、ジョスリンもそうだったのだろうか。
意外なところから出逢えた面白い1冊だった。
「説得」 ジェーン・オースティン ― 2008年07月05日 17時45分56秒
「説得」 ジェーン・オースティン
PERSUASION
by Jane Austen
(キネマ旬報社)
アンはかつて、海軍将校のフレデリック・ウェントワースと婚約したものの、父の反対に遭い、結局、母親代わりのラッセル夫人に説得され、結婚を取りやめてしまう。それから8年の月日を経て、二人は再会する。
ジェーン・オースティンは映画で知った作家。最初はグィネス・パルトロウの「エマ」、次にエマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレットの「いつか晴れた日に」、そしてコリン・ファースがダーシーを演じた「高慢と偏見」。
この「高慢と偏見」がきっかけで原作を読んだ。
19世紀初頭の英国の貴族社会。なんじゃこりゃな、現代のわれわれには理解し難い法や習慣。時代も国も違えども感心するほどの生き方の違いにはただただ唖然。
この国でそんな生き方しか出来ない女であれば、こんな話が生まれてもおかしくないか、と、至極納得のいくオースティン文学は、読んでて楽しい。が、続けて読む気にはならず、3年ほど経ったろうか。
昨年「プライドと偏見」が公開され、今年は「つぐない」、「ジェーン・オースティンの読書会」、TVで「ジェイン・エア」「説得」「分別と多感」と、続々と英国女流文学作品の映像化が並び、再び興味が。中でも「説得」が非常によろしくてー。
何が?ウェントワース大佐のルパート・ペンリー・ジョーンズがっ!
やっぱりね、私のことだからこんなもんなんですが(笑)。
見た目にも麗しいウェントワース大佐はコリン・ファースのダーシーに負けない仏頂面。8年前にふられたアンに再会して、不機嫌丸出し。だけどもー・・・。
アンはアンで振ったもののずっと彼のことを忘れられず、再会して彼の姿を見る度に苦しいやら悲しいやら、でも嬉しいやら。
オースティンのお約束で最後は大団円だから安心して観てられるんだけど、この二人のじれじれぶりが、「高慢と偏見」のベスとダーシー以上!「こいつら、何やっとんじゃい・・・」と呆れるやら、笑えるやら、楽しい1時間半だった(笑)。
で、原作が読みたくなり、図書館へ。329ページのわりに一週間足らずで、すらすら読めた。私が読んだのはキネマ旬報社版。他に河出世界文学全集「説きふせられて」、岩波文庫「説きふせられて」もあり。
原作はアンの性格がさらに深く描かれていて、確かに人間として優れ、機知に富み、思いやりに溢れ、貴族の家の出にしては慎ましく・・・なんだけど、人の心を読むのに長けているがために、ちょっとそこまで考えるなよ~!と、突っ込みをいれたくなるところも。その点は、ひたすらじれじれするところに演出のポイントを置いたようなTV版のほうが好ましく感じた。
ウェントワース大佐もこの人がまた、感情の吐き出し方がへたくそな男で、いろんなことを考えすぎて頭が爆発寸前。心中葛藤し過ぎで行動がちぐはぐ。でも、そこが可愛いのかも?(笑)
いや、可愛く見えるのはルパートの功績が大きい。95年製作のTVMではシアラン・ハインズだったそうで。それも観たいような・・・観たくないような・・・。
基本が古典文学なので映像化されても大きく違うところはない。変えちゃったらファンから大ブーイングが起こること必至だから、製作する側もある意味大変だよね。
なので、観た映像を当てはめて読んだのだけど、敢えて違うとすれば最後のほうかな。TV版のアンは何故そんなに走り回っているのだ?と私は笑い転げていたんだけどー。ウェントワースとのすれ違いに焦りまくって走る走る。演じるサリー・ホーキンスが気の毒なくらい。この場面は原作では1~2日分のところなのに数10分でまとめようとしてるのよね。なぜ?ふたりがやっと顔を合わせたのにアンが息切らしてるって・・・。まあ、その後のシーンは悪くないのでいいんだけどー♪
原作に戻るが、やはり文章を読ませるという意味で映像化が適わないなと思った部分。それは、ウェントワース大佐がアンに最後に思いの丈を綴った手紙。
勿論、映像でもここは大きな見所なんだけども、やっぱり手紙は文面があって意味がある。モノローグであっという間に流れてしまう映像ではなく、何度も文面に戻って読み直せるのに勝るものはない。
この手紙が、ぐぐぐっとくるのだ。女なら一度はこんな手紙もらってみたいねぇ。
この手紙。ここに引用したいとも思ったが、余りに熱情のこもったもので、さすがに恥ずかしいかもと思って止めました(笑)。この手紙の部分で、私は「説得」は愛蔵版として手元に置きたくなりましたもん。機会があったら一度呼んでみてくださいまし。
ただし、今時、こんな手紙が世の女全般にうけるなんてこたないでしょな。ベタ甘ラブストーリー好き限定。
ちなみに、ジェーン・オースティンは古典作家としての評価が高いが、私的にはそうかなぁ~、と。いやね、偉そうな意味ではなく、古典文学にしてはかなり大衆性の強い、むしろラブコメディみたいだと思うわけで。
Wikipediaの『ジェーン・オースティン』での作家評として“一般の読者にとってもオースティンの小説は読むことが純粋に楽しい数少ない古典の一つである。”とあるが、まさにそれ!
殺伐としたご時世。たまにはこんなものを読んでほっとするのも良いのでは?
PERSUASION
by Jane Austen
(キネマ旬報社)
アンはかつて、海軍将校のフレデリック・ウェントワースと婚約したものの、父の反対に遭い、結局、母親代わりのラッセル夫人に説得され、結婚を取りやめてしまう。それから8年の月日を経て、二人は再会する。
ジェーン・オースティンは映画で知った作家。最初はグィネス・パルトロウの「エマ」、次にエマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレットの「いつか晴れた日に」、そしてコリン・ファースがダーシーを演じた「高慢と偏見」。
この「高慢と偏見」がきっかけで原作を読んだ。
19世紀初頭の英国の貴族社会。なんじゃこりゃな、現代のわれわれには理解し難い法や習慣。時代も国も違えども感心するほどの生き方の違いにはただただ唖然。
この国でそんな生き方しか出来ない女であれば、こんな話が生まれてもおかしくないか、と、至極納得のいくオースティン文学は、読んでて楽しい。が、続けて読む気にはならず、3年ほど経ったろうか。
昨年「プライドと偏見」が公開され、今年は「つぐない」、「ジェーン・オースティンの読書会」、TVで「ジェイン・エア」「説得」「分別と多感」と、続々と英国女流文学作品の映像化が並び、再び興味が。中でも「説得」が非常によろしくてー。
何が?ウェントワース大佐のルパート・ペンリー・ジョーンズがっ!
やっぱりね、私のことだからこんなもんなんですが(笑)。
見た目にも麗しいウェントワース大佐はコリン・ファースのダーシーに負けない仏頂面。8年前にふられたアンに再会して、不機嫌丸出し。だけどもー・・・。
アンはアンで振ったもののずっと彼のことを忘れられず、再会して彼の姿を見る度に苦しいやら悲しいやら、でも嬉しいやら。
オースティンのお約束で最後は大団円だから安心して観てられるんだけど、この二人のじれじれぶりが、「高慢と偏見」のベスとダーシー以上!「こいつら、何やっとんじゃい・・・」と呆れるやら、笑えるやら、楽しい1時間半だった(笑)。
で、原作が読みたくなり、図書館へ。329ページのわりに一週間足らずで、すらすら読めた。私が読んだのはキネマ旬報社版。他に河出世界文学全集「説きふせられて」、岩波文庫「説きふせられて」もあり。
原作はアンの性格がさらに深く描かれていて、確かに人間として優れ、機知に富み、思いやりに溢れ、貴族の家の出にしては慎ましく・・・なんだけど、人の心を読むのに長けているがために、ちょっとそこまで考えるなよ~!と、突っ込みをいれたくなるところも。その点は、ひたすらじれじれするところに演出のポイントを置いたようなTV版のほうが好ましく感じた。
ウェントワース大佐もこの人がまた、感情の吐き出し方がへたくそな男で、いろんなことを考えすぎて頭が爆発寸前。心中葛藤し過ぎで行動がちぐはぐ。でも、そこが可愛いのかも?(笑)
いや、可愛く見えるのはルパートの功績が大きい。95年製作のTVMではシアラン・ハインズだったそうで。それも観たいような・・・観たくないような・・・。
基本が古典文学なので映像化されても大きく違うところはない。変えちゃったらファンから大ブーイングが起こること必至だから、製作する側もある意味大変だよね。
なので、観た映像を当てはめて読んだのだけど、敢えて違うとすれば最後のほうかな。TV版のアンは何故そんなに走り回っているのだ?と私は笑い転げていたんだけどー。ウェントワースとのすれ違いに焦りまくって走る走る。演じるサリー・ホーキンスが気の毒なくらい。この場面は原作では1~2日分のところなのに数10分でまとめようとしてるのよね。なぜ?ふたりがやっと顔を合わせたのにアンが息切らしてるって・・・。まあ、その後のシーンは悪くないのでいいんだけどー♪
原作に戻るが、やはり文章を読ませるという意味で映像化が適わないなと思った部分。それは、ウェントワース大佐がアンに最後に思いの丈を綴った手紙。
勿論、映像でもここは大きな見所なんだけども、やっぱり手紙は文面があって意味がある。モノローグであっという間に流れてしまう映像ではなく、何度も文面に戻って読み直せるのに勝るものはない。
この手紙が、ぐぐぐっとくるのだ。女なら一度はこんな手紙もらってみたいねぇ。
この手紙。ここに引用したいとも思ったが、余りに熱情のこもったもので、さすがに恥ずかしいかもと思って止めました(笑)。この手紙の部分で、私は「説得」は愛蔵版として手元に置きたくなりましたもん。機会があったら一度呼んでみてくださいまし。
ただし、今時、こんな手紙が世の女全般にうけるなんてこたないでしょな。ベタ甘ラブストーリー好き限定。
ちなみに、ジェーン・オースティンは古典作家としての評価が高いが、私的にはそうかなぁ~、と。いやね、偉そうな意味ではなく、古典文学にしてはかなり大衆性の強い、むしろラブコメディみたいだと思うわけで。
Wikipediaの『ジェーン・オースティン』での作家評として“一般の読者にとってもオースティンの小説は読むことが純粋に楽しい数少ない古典の一つである。”とあるが、まさにそれ!
殺伐としたご時世。たまにはこんなものを読んでほっとするのも良いのでは?
「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック ― 2008年05月17日 10時53分08秒
「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック
FLICKER
by Theodore Roszak
(文藝春秋)
主人公の男の映画に纏わる人生は、高校生の時分にエロティックなところを求めて入った映画館で観たルイ・マルの「恋人たち」に始まり、数年後にある地下劇場でマックス・キャッスルなる監督によるB級ホラー映画に出会ってから急転する。
いやはや、難解というか、けったいというか、みょうちくりんというか、おっかしな本を読んだ。
例によって、1999年版「このミス」海外編第1位の傑作ミステリーっていうのと、タイトルに映画って入ってるし、映画製作の業界内で起こるサスペンスなのかと思ったら、・・・やー、確かにそうなんだけど、でも違うー。
そんな理由で図書館に予約。届いたよってんで行ってみれば、出てきたのはA5版で厚さ22㎝。570ページのシロモノだった。しかも開けてみれば、2段組で文字がびっしり。これは2週間の貸し出し期間では絶対に読めん!と、即行思った。事実、1ヶ月以上かかった。こんな本に次の予約が入っているわけはなく、余裕で延長は出来ましたけどね。それにしても、それはボリュームだけの問題ではなく・・・。
作品自体はクズ映画の域を出ないとしても、その映画から感じる恐怖感、嫌悪感に強烈に惹かれて、彼の作品をもっと観たいと思った主人公だが、マックス・キャッスルは何本かのホラー作品を残して映画界からふっと消えてしまった。彼の消息と映画に隠されたここまで惹かれる魅力の謎を辿る、主人公の追跡が始まるわけだがー。
こういうミステリーなの?いつ事件が始まるのかと思って読んでいて、途中ではたと、自分の思い違いに気がついた。だってミステリーって言ったじゃん~。冒頭からずーーーーーっと、主人公の映画にはまっていく青春小説みたいな展開なのだ。それはそれで面白かったりするんだけどね。
ところが、それが中盤から怪しく変わっていくのだ。青春期の熱くエロティックな恋人との関係から、彼女が映画に精通していたために、ずぶずぶとその奥義に踏み込んでいくところから、マックス・キャッスルなる監督作品の不気味な仕掛けの究明に躍起になっていくあたり、だんだん、どろっとしたどす黒いものが全体に漂ってくる。
マックス・キャッスル作品はホラー、スプラッター系にエログロが混じった猟奇的で不快感100%な映像満載。さらに、映像にあらゆるトリックを隠すことで、観る者に嫌悪感、恐怖感を与えることに成功していたらしく、今でいうサブリミナル効果や、それ以外の不可視な部分に細工を施していたことを主人公は突き止める。キャッスルの消息を辿り、関係者に会い話を聞くうちに、現れてきたのは・・・宗教であった。
こうなると私は困る。途中からもしかしたらと思っていはいたが、まんまと宗教に関する記述になると途端に読む速度が・・・。
かいつまんで言うと、この教団は異端で正道のキリスト教から根絶の扱いを受けてきたようで、その教義たるや・・・よくわからんが変なのだ。普通じゃない。その最たるや主な活動が、孤児を集め教育を施して世に放つことで・・・何を企んでいるかは・・・である。
その一端がマックス・キャッスルの映画技術であるというわけだ。万人の見る映画に細工が施されてそこに怪しい宗教の意図が絡んでいるとしたら?てなわけだね。
ハリウッドの内幕事情や政治も微妙に絡み、挙句の果てに怪しい宗教団体の世界に足を踏み入れてしまった主人公の運命やいかに!みたいな話である。
途中まで読んでいて、宗教の絡むミステリーっていうと(まだその時は、これがミステリーなのか?と思ってたけど)、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出した。宗教描写やその歴史、教義にまつわる記述は、内容は全然違えどもまさにそんな感じ。眠くなるし、進まないし、わっかんね~と思って読んでいた(笑)。
もうひとつ目立った特徴が、それも大きな特徴が、中心となるマックス・キャッスルとその一派による映画作品がおっそろしくエログロなところだ。彼の後継者の若い監督が出てくるのだが、彼の作品がキャッスルを凌ぐ強烈なグロ!この描写は嫌な人はホントに嫌だと思う。
一方、主人公の実生活のエロ描写がまたおっかしい。いや変な意味じゃなくて・・・かわいいもんなのだな。主人公の恋愛に関する部分はちょっとした恋愛小説の趣もあるから、この作中においてはちょっと驚き。しかしながらこの対照的なところも実は話の核に微妙に関係しているような気がするんだけど。
“フリッカー”とは映像に現れるちらつきのこと。人間がこれを長時間見ていると疲労、眩暈、吐き気をもよおすのだそうだ。言ってみれば、キャッスルは作品の中にこの技術をはじめとするトリックを用いたわけだ。このいろんなトリックが文中に現れる。
また、30~50年にかけての映画業界をも舞台としているため実名の作品、作家、ましてや監督までも登場し、業界の裏事情、トリビアもふんだんにある・・・はず。まあ、どこまでがホントでどこから嘘か私にはそんなことは知らぬ存ぜぬで、まったくピンと来ないので、前述のトリック類やその時代の作品に深い映画通の人が読めばもっと面白いのではなかろうかと思う。
苦労はしたものの読み終わってみれば、ストーリーとしてましてや最初は懐疑的だったミステリーとしてもまあ、面白かったといえるみたいだ。傑作!と私には言えないが、なるほどこの緻密さ、深さを思うとそう言われて然りかと。エンタメ性には欠けるが、そういう意味ではやっぱり「ダ・ヴィンチ・コード」を思わせるかもね。
そう、かなり読みにくかったのとエンタメ性に欠けるためだと思う。いつもの私の読み方である妄想キャスティングはまったく思い浮かばなかった。楽しく映像が浮かんでこないのが大きい。浮かんでも、自分の好きな役者の顔にならない。全然知らない西洋人の顔?(笑)。映像化で観たい気にならなかったってことだろうねぇ。
しかし疲れたよ。次は軽い恋愛ものでも読もう。
FLICKER
by Theodore Roszak
(文藝春秋)
主人公の男の映画に纏わる人生は、高校生の時分にエロティックなところを求めて入った映画館で観たルイ・マルの「恋人たち」に始まり、数年後にある地下劇場でマックス・キャッスルなる監督によるB級ホラー映画に出会ってから急転する。
いやはや、難解というか、けったいというか、みょうちくりんというか、おっかしな本を読んだ。
例によって、1999年版「このミス」海外編第1位の傑作ミステリーっていうのと、タイトルに映画って入ってるし、映画製作の業界内で起こるサスペンスなのかと思ったら、・・・やー、確かにそうなんだけど、でも違うー。
そんな理由で図書館に予約。届いたよってんで行ってみれば、出てきたのはA5版で厚さ22㎝。570ページのシロモノだった。しかも開けてみれば、2段組で文字がびっしり。これは2週間の貸し出し期間では絶対に読めん!と、即行思った。事実、1ヶ月以上かかった。こんな本に次の予約が入っているわけはなく、余裕で延長は出来ましたけどね。それにしても、それはボリュームだけの問題ではなく・・・。
作品自体はクズ映画の域を出ないとしても、その映画から感じる恐怖感、嫌悪感に強烈に惹かれて、彼の作品をもっと観たいと思った主人公だが、マックス・キャッスルは何本かのホラー作品を残して映画界からふっと消えてしまった。彼の消息と映画に隠されたここまで惹かれる魅力の謎を辿る、主人公の追跡が始まるわけだがー。
こういうミステリーなの?いつ事件が始まるのかと思って読んでいて、途中ではたと、自分の思い違いに気がついた。だってミステリーって言ったじゃん~。冒頭からずーーーーーっと、主人公の映画にはまっていく青春小説みたいな展開なのだ。それはそれで面白かったりするんだけどね。
ところが、それが中盤から怪しく変わっていくのだ。青春期の熱くエロティックな恋人との関係から、彼女が映画に精通していたために、ずぶずぶとその奥義に踏み込んでいくところから、マックス・キャッスルなる監督作品の不気味な仕掛けの究明に躍起になっていくあたり、だんだん、どろっとしたどす黒いものが全体に漂ってくる。
マックス・キャッスル作品はホラー、スプラッター系にエログロが混じった猟奇的で不快感100%な映像満載。さらに、映像にあらゆるトリックを隠すことで、観る者に嫌悪感、恐怖感を与えることに成功していたらしく、今でいうサブリミナル効果や、それ以外の不可視な部分に細工を施していたことを主人公は突き止める。キャッスルの消息を辿り、関係者に会い話を聞くうちに、現れてきたのは・・・宗教であった。
こうなると私は困る。途中からもしかしたらと思っていはいたが、まんまと宗教に関する記述になると途端に読む速度が・・・。
かいつまんで言うと、この教団は異端で正道のキリスト教から根絶の扱いを受けてきたようで、その教義たるや・・・よくわからんが変なのだ。普通じゃない。その最たるや主な活動が、孤児を集め教育を施して世に放つことで・・・何を企んでいるかは・・・である。
その一端がマックス・キャッスルの映画技術であるというわけだ。万人の見る映画に細工が施されてそこに怪しい宗教の意図が絡んでいるとしたら?てなわけだね。
ハリウッドの内幕事情や政治も微妙に絡み、挙句の果てに怪しい宗教団体の世界に足を踏み入れてしまった主人公の運命やいかに!みたいな話である。
途中まで読んでいて、宗教の絡むミステリーっていうと(まだその時は、これがミステリーなのか?と思ってたけど)、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出した。宗教描写やその歴史、教義にまつわる記述は、内容は全然違えどもまさにそんな感じ。眠くなるし、進まないし、わっかんね~と思って読んでいた(笑)。
もうひとつ目立った特徴が、それも大きな特徴が、中心となるマックス・キャッスルとその一派による映画作品がおっそろしくエログロなところだ。彼の後継者の若い監督が出てくるのだが、彼の作品がキャッスルを凌ぐ強烈なグロ!この描写は嫌な人はホントに嫌だと思う。
一方、主人公の実生活のエロ描写がまたおっかしい。いや変な意味じゃなくて・・・かわいいもんなのだな。主人公の恋愛に関する部分はちょっとした恋愛小説の趣もあるから、この作中においてはちょっと驚き。しかしながらこの対照的なところも実は話の核に微妙に関係しているような気がするんだけど。
“フリッカー”とは映像に現れるちらつきのこと。人間がこれを長時間見ていると疲労、眩暈、吐き気をもよおすのだそうだ。言ってみれば、キャッスルは作品の中にこの技術をはじめとするトリックを用いたわけだ。このいろんなトリックが文中に現れる。
また、30~50年にかけての映画業界をも舞台としているため実名の作品、作家、ましてや監督までも登場し、業界の裏事情、トリビアもふんだんにある・・・はず。まあ、どこまでがホントでどこから嘘か私にはそんなことは知らぬ存ぜぬで、まったくピンと来ないので、前述のトリック類やその時代の作品に深い映画通の人が読めばもっと面白いのではなかろうかと思う。
苦労はしたものの読み終わってみれば、ストーリーとしてましてや最初は懐疑的だったミステリーとしてもまあ、面白かったといえるみたいだ。傑作!と私には言えないが、なるほどこの緻密さ、深さを思うとそう言われて然りかと。エンタメ性には欠けるが、そういう意味ではやっぱり「ダ・ヴィンチ・コード」を思わせるかもね。
そう、かなり読みにくかったのとエンタメ性に欠けるためだと思う。いつもの私の読み方である妄想キャスティングはまったく思い浮かばなかった。楽しく映像が浮かんでこないのが大きい。浮かんでも、自分の好きな役者の顔にならない。全然知らない西洋人の顔?(笑)。映像化で観たい気にならなかったってことだろうねぇ。
しかし疲れたよ。次は軽い恋愛ものでも読もう。
「デス・コレクターズ」 ジャック・カーリィ ― 2008年03月30日 09時35分23秒
「デス・コレクターズ」 ジャック・カーリィ
THE DEATH COLLECTORS
by Jack Kerley
(文春文庫)
異常犯罪専門捜査官のカーソンは、遺体が蝋燭と花で飾られていた事件の裏に、30年前に法廷で殺された大量殺人犯の描いた絵画と、そのコレクターたちの存在を掴む。
例によって2007年の「このミス」で上位に食い込んだ作品。著者カーリィの前作「百番目の男」も評判でこちらは映画化の予定があるそうだ。そんなこととは全然知らずに同じ主人公の二作目を先に読むことになったわけだが、全然支障はなかった。(じゃなきゃ駄目だと思うけど。)主人公のカーソン自身にも病質犯罪で収監された兄がいて、今回の事件にも大きな役割を果たす。
サイコサスペンスとしても主人公のドラマとしても非常に入り組んだプロットが緻密な構成で良く出来たミステリーだった。また主人公はじめ登場人物のキャラクターの作りこみが丁寧で、ユーモアもあり想像力をかきたてる。まあ、その話はまた後で。
さて肝心の物語はこの異常犯罪捜査官のカーソンとその相棒ハリーが担当する事件だが、キャンドルと花で装飾された女性の殺人事件を皮切りに弁護士の失踪事件、新たな女性の殺人事件へと繋がりを見せていく。この事件を繋ぐのがある“アート”の存在。この“アート”がくせもので30年前の連続殺人犯によるものだという。そしてこういった品々を嗜好するコレクターの存在が明らかになる。カーソンは捜査のためにそのコレクターに近づいていく。
この作品は説明しようとするとかなりの字数を要する複雑さ。単純に事件を説明するにも30年前の事件が絡んでいたり、キャラクターを紹介するにも人物背景がいろいろあって事件に繋がっていたり。そこがまた面白いんだと思う。
サイコサスペンス。30年前の事件。猟奇犯罪者に纏わる物品のコレクターたち。主人公のドラマとプロットてんこ盛り。おまけに舞台もアラバマ州からパリまでにおよぶのだ。
犯人の姿もなかなか見えてこず、その登場には「へ~えっ!」と、私は見事に驚かされました。こういうミステリーサスペンスは久しぶりかも。私的にものすごく面白かったと絶賛するまでには至らないんだけどミステリーファンには満足していただけるとは思う。
最後の展開もサスペンスの緊張感あり、なかなか。これは映像で観たいかもと思わせる。
だけどこのカバーデザイン。本屋で手にして買う気にはならないよなあー。
そしてバラエティに富んだ登場人物たち。主人公のカーソンと相棒のハリーを筆頭に、彼らを追いかけるTVレポーターのディーディー。30年前の事件の担当刑事。30年前の事件の犯人と関係した女たち。パリで出逢う人々。不気味な商品に関わるコレクターと仲介人。そしてカーソンの問題の兄。いやはや時代も舞台も異常な世界もと展開する分野が広範囲のため登場人物が多く、そのどれもがしっかりした個性があるのがすごい。これは映画化したら傍役のキャスティングが楽しいだろうなと。
で、私が思い浮かべたのは、主人公のカーソンがジュード・ロウ。アラバマの刑事なので、全然それっぽくないんだけどさ(笑)。いやね、若手の刑事で人物像に深みがある。一言も書いてないけど二枚目のような気がするのよ。
相棒のハリーは、TVの人なのでほとんど知られていない人だけど、ジェレミー・ラッチフォード。TVシリーズ「コールドケース」のヴェラ刑事役が最近は有名。見た目にちょい太目の30代後半。うーん、フィリップ・シーモア・ホフマンとドナル・ローグをたして2で割った感じ(笑)。地味だけど有能な捜査官。明るくて楽しい、好き嫌いがはっきりしていて相手によっては好戦的。今回読んだ中で私が一番惹かれた人物が彼。
カーソンに絡んでくるTVレポーターのディーディー。ただのイラつく女かと思いきや、それだけに留まらず。イラつくキャラだったのでジェニファー・ラブ・ヒューイット辺りを想像したんだけどジュードとのバランスを考えて却下。彼女、舞台がフランスへ移ると本領を発揮するなど意外な方向に向っていったのでオドレー・トトゥが浮かんだ。
30年前の事件担当捜査官だった元刑事はジョン・サヴェージあたりかなあ。年齢的に初老でまだ昔の事件を引きずっている根っからの刑事。
問題のカーソンの兄。リス・エヴァンスじゃベタか・・・。ジェイミー・ハリスなんか病質的かもー。
考えるとキリがないくらい面白い登場人物たち。映画化が予定されている「百番目の男」もこんなにバラエティに富んでるんだろうかー?ちょっと気になって調べたんだけどIMDbに今のところそれらしいのは見つからず。ま、ジュード・ロウとオドレー・トトゥは有り得んよ(笑)。
THE DEATH COLLECTORS
by Jack Kerley
(文春文庫)
異常犯罪専門捜査官のカーソンは、遺体が蝋燭と花で飾られていた事件の裏に、30年前に法廷で殺された大量殺人犯の描いた絵画と、そのコレクターたちの存在を掴む。
例によって2007年の「このミス」で上位に食い込んだ作品。著者カーリィの前作「百番目の男」も評判でこちらは映画化の予定があるそうだ。そんなこととは全然知らずに同じ主人公の二作目を先に読むことになったわけだが、全然支障はなかった。(じゃなきゃ駄目だと思うけど。)主人公のカーソン自身にも病質犯罪で収監された兄がいて、今回の事件にも大きな役割を果たす。
サイコサスペンスとしても主人公のドラマとしても非常に入り組んだプロットが緻密な構成で良く出来たミステリーだった。また主人公はじめ登場人物のキャラクターの作りこみが丁寧で、ユーモアもあり想像力をかきたてる。まあ、その話はまた後で。
さて肝心の物語はこの異常犯罪捜査官のカーソンとその相棒ハリーが担当する事件だが、キャンドルと花で装飾された女性の殺人事件を皮切りに弁護士の失踪事件、新たな女性の殺人事件へと繋がりを見せていく。この事件を繋ぐのがある“アート”の存在。この“アート”がくせもので30年前の連続殺人犯によるものだという。そしてこういった品々を嗜好するコレクターの存在が明らかになる。カーソンは捜査のためにそのコレクターに近づいていく。
この作品は説明しようとするとかなりの字数を要する複雑さ。単純に事件を説明するにも30年前の事件が絡んでいたり、キャラクターを紹介するにも人物背景がいろいろあって事件に繋がっていたり。そこがまた面白いんだと思う。
サイコサスペンス。30年前の事件。猟奇犯罪者に纏わる物品のコレクターたち。主人公のドラマとプロットてんこ盛り。おまけに舞台もアラバマ州からパリまでにおよぶのだ。
犯人の姿もなかなか見えてこず、その登場には「へ~えっ!」と、私は見事に驚かされました。こういうミステリーサスペンスは久しぶりかも。私的にものすごく面白かったと絶賛するまでには至らないんだけどミステリーファンには満足していただけるとは思う。
最後の展開もサスペンスの緊張感あり、なかなか。これは映像で観たいかもと思わせる。
だけどこのカバーデザイン。本屋で手にして買う気にはならないよなあー。
そしてバラエティに富んだ登場人物たち。主人公のカーソンと相棒のハリーを筆頭に、彼らを追いかけるTVレポーターのディーディー。30年前の事件の担当刑事。30年前の事件の犯人と関係した女たち。パリで出逢う人々。不気味な商品に関わるコレクターと仲介人。そしてカーソンの問題の兄。いやはや時代も舞台も異常な世界もと展開する分野が広範囲のため登場人物が多く、そのどれもがしっかりした個性があるのがすごい。これは映画化したら傍役のキャスティングが楽しいだろうなと。
で、私が思い浮かべたのは、主人公のカーソンがジュード・ロウ。アラバマの刑事なので、全然それっぽくないんだけどさ(笑)。いやね、若手の刑事で人物像に深みがある。一言も書いてないけど二枚目のような気がするのよ。
相棒のハリーは、TVの人なのでほとんど知られていない人だけど、ジェレミー・ラッチフォード。TVシリーズ「コールドケース」のヴェラ刑事役が最近は有名。見た目にちょい太目の30代後半。うーん、フィリップ・シーモア・ホフマンとドナル・ローグをたして2で割った感じ(笑)。地味だけど有能な捜査官。明るくて楽しい、好き嫌いがはっきりしていて相手によっては好戦的。今回読んだ中で私が一番惹かれた人物が彼。
カーソンに絡んでくるTVレポーターのディーディー。ただのイラつく女かと思いきや、それだけに留まらず。イラつくキャラだったのでジェニファー・ラブ・ヒューイット辺りを想像したんだけどジュードとのバランスを考えて却下。彼女、舞台がフランスへ移ると本領を発揮するなど意外な方向に向っていったのでオドレー・トトゥが浮かんだ。
30年前の事件担当捜査官だった元刑事はジョン・サヴェージあたりかなあ。年齢的に初老でまだ昔の事件を引きずっている根っからの刑事。
問題のカーソンの兄。リス・エヴァンスじゃベタか・・・。ジェイミー・ハリスなんか病質的かもー。
考えるとキリがないくらい面白い登場人物たち。映画化が予定されている「百番目の男」もこんなにバラエティに富んでるんだろうかー?ちょっと気になって調べたんだけどIMDbに今のところそれらしいのは見つからず。ま、ジュード・ロウとオドレー・トトゥは有り得んよ(笑)。
「迷宮の暗殺者」 デヴィッド・アンブローズ ― 2008年02月14日 19時49分06秒
「迷宮の暗殺者」 デヴィッド・アンブローズ
THE DISCRETE CHARM OF CHARLIE MONK
by David Ambrose
(ヴィレッジブックス)
有能な特殊工作員のチャーリーは、何不自由ない生き方をしてきたが、彼の幼い頃からの記憶にある少女に出会ってしまったことから、彼の出生の驚愕の真実が明らかになってくる。
このデヴィッド・アンブローズなる作家はトリッキーでびっくら仰天な展開を得意とする作家なんだそうな。この作品はまさに驚愕という展開だという評判で(それがミステリー好きにとってはその驚愕具合は“バカミス”というそうな)、なんとも気になって手にとってみた。
で、その驚愕具合とやらだが、私の感想は「なんじゃ、そりゃ?」であった・・・。
主人公のチャーリーは政府機関の組織下においてその類稀なる能力を発揮する有能な工作員。それがめっちゃ、カッコいいんで、私としてはボンドの雄姿が記憶に新しいダニエル・クレイグを想定して読んでいたのだが、「なんじゃ、そりゃ?」に出くわして、あまりの馬鹿馬鹿しさにダニエルに申し訳ない気なってきた。頭の中に描いていたカッコいい工作員のクレイグがよもやこんな目に合うとは・・・悲しすぎるったらない。
ほんとに馬鹿馬鹿しい展開で笑ってしまった。「なんじゃ、そりゃ?」の展開はミステリーの枠を超えていた。SF?ミステリーで驚かされる展開は大歓迎だが、SF的な展開されてもあんまり嬉しくないんだよねぇ。しかも、これは酷いって。チャーリーをヒーロー的に見てたのにあんまりだって。これで一気に冷めた。
とかいいながら、いや、ダニエル・クレイグって考えたのがあながちはまっていたりしてとも思える複雑な気分てんこもり・・・。
彼の記憶にあった少女が成長して目の前に現れたわけだが、その彼女、スーザンは医学博士ということで知的美人を思い浮かべた。近年、クレイグと共演した「インベージョン」が記憶にあって、ニコル・キッドマンを思い浮かべたが、読み進むうちに、こんな安っぽいキャラは彼女には気の毒だと思えてきて、ふと浮かんだのがナオミ・ワッツなら妥当かな~みたいな・・・(失礼!)。
読み終わって、呆れかえってしまったんだけど~、最後に解説を読んで大笑いしそうになった。作者のアンブローズは小説家としてやっていく前は映画やTVの脚本家だったんだそうで、代表作が「ファイナル・カウントダウン」や「イヤー・オブ・ザ・ガン」だそうな。び、微妙にB級~(笑)。
アンブローズは製作側の意向で思うように脚本が書けないのが嫌で小説家として独立することにしたんだそうだが、この「迷宮の暗殺者」に映画化の話が来たんだそうだ。で、何をえらそうに、彼は「自分で俳優を選ぶならチャーリーはジュード・ロウに、スーザンはジュリア・ロバーツに」とのたまったんだそうな。・・・ありえねー。
ともすればZ級に陥りそうな危険性の高いストーリー。感動的なミステリーにするには相当の脚色力と演出力が必要とされそうな本作。願わくば映画化は止めてもらいたい。
この映画化という記述を読んだのは日本版で2004年の初版本。おそらく立ち消えになってるのでは?
むちゃくちゃけなしまくってますが、このアンブローズ氏の経歴と言動が余りに可笑しくてウケてしまったので思わずUPしてしまった。どんな話なんだと興味をもたれた方はいらっしゃるでしょうか?純粋なミステリー好きにはあまりお薦めしたくない一冊でありますが、読みたい方はどうぞ。でも責任はもてませんので、念のため(笑)。
エチケットとして極力ネタバレはしておりませんが、読みたくないけど、一体どんな話?とお思いの方は、手にする機会があったら、巻末の作者による『謝辞』をどうぞ。思いっきりネタバレです。
私がダニエル・クレイグに申し訳ないと思いつつ笑ってしまいそうになる理由が、ナオミ・ワッツが妥当だと思う理由がわかって、にんまりしていただけるんじゃないかと~(笑)。
THE DISCRETE CHARM OF CHARLIE MONK
by David Ambrose
(ヴィレッジブックス)
有能な特殊工作員のチャーリーは、何不自由ない生き方をしてきたが、彼の幼い頃からの記憶にある少女に出会ってしまったことから、彼の出生の驚愕の真実が明らかになってくる。
このデヴィッド・アンブローズなる作家はトリッキーでびっくら仰天な展開を得意とする作家なんだそうな。この作品はまさに驚愕という展開だという評判で(それがミステリー好きにとってはその驚愕具合は“バカミス”というそうな)、なんとも気になって手にとってみた。
で、その驚愕具合とやらだが、私の感想は「なんじゃ、そりゃ?」であった・・・。
主人公のチャーリーは政府機関の組織下においてその類稀なる能力を発揮する有能な工作員。それがめっちゃ、カッコいいんで、私としてはボンドの雄姿が記憶に新しいダニエル・クレイグを想定して読んでいたのだが、「なんじゃ、そりゃ?」に出くわして、あまりの馬鹿馬鹿しさにダニエルに申し訳ない気なってきた。頭の中に描いていたカッコいい工作員のクレイグがよもやこんな目に合うとは・・・悲しすぎるったらない。
ほんとに馬鹿馬鹿しい展開で笑ってしまった。「なんじゃ、そりゃ?」の展開はミステリーの枠を超えていた。SF?ミステリーで驚かされる展開は大歓迎だが、SF的な展開されてもあんまり嬉しくないんだよねぇ。しかも、これは酷いって。チャーリーをヒーロー的に見てたのにあんまりだって。これで一気に冷めた。
とかいいながら、いや、ダニエル・クレイグって考えたのがあながちはまっていたりしてとも思える複雑な気分てんこもり・・・。
彼の記憶にあった少女が成長して目の前に現れたわけだが、その彼女、スーザンは医学博士ということで知的美人を思い浮かべた。近年、クレイグと共演した「インベージョン」が記憶にあって、ニコル・キッドマンを思い浮かべたが、読み進むうちに、こんな安っぽいキャラは彼女には気の毒だと思えてきて、ふと浮かんだのがナオミ・ワッツなら妥当かな~みたいな・・・(失礼!)。
読み終わって、呆れかえってしまったんだけど~、最後に解説を読んで大笑いしそうになった。作者のアンブローズは小説家としてやっていく前は映画やTVの脚本家だったんだそうで、代表作が「ファイナル・カウントダウン」や「イヤー・オブ・ザ・ガン」だそうな。び、微妙にB級~(笑)。
アンブローズは製作側の意向で思うように脚本が書けないのが嫌で小説家として独立することにしたんだそうだが、この「迷宮の暗殺者」に映画化の話が来たんだそうだ。で、何をえらそうに、彼は「自分で俳優を選ぶならチャーリーはジュード・ロウに、スーザンはジュリア・ロバーツに」とのたまったんだそうな。・・・ありえねー。
ともすればZ級に陥りそうな危険性の高いストーリー。感動的なミステリーにするには相当の脚色力と演出力が必要とされそうな本作。願わくば映画化は止めてもらいたい。
この映画化という記述を読んだのは日本版で2004年の初版本。おそらく立ち消えになってるのでは?
むちゃくちゃけなしまくってますが、このアンブローズ氏の経歴と言動が余りに可笑しくてウケてしまったので思わずUPしてしまった。どんな話なんだと興味をもたれた方はいらっしゃるでしょうか?純粋なミステリー好きにはあまりお薦めしたくない一冊でありますが、読みたい方はどうぞ。でも責任はもてませんので、念のため(笑)。
エチケットとして極力ネタバレはしておりませんが、読みたくないけど、一体どんな話?とお思いの方は、手にする機会があったら、巻末の作者による『謝辞』をどうぞ。思いっきりネタバレです。
私がダニエル・クレイグに申し訳ないと思いつつ笑ってしまいそうになる理由が、ナオミ・ワッツが妥当だと思う理由がわかって、にんまりしていただけるんじゃないかと~(笑)。

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