「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック2008年05月17日 10時53分08秒

「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック
「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック
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by Theodore Roszak
(文藝春秋)

主人公の男の映画に纏わる人生は、高校生の時分にエロティックなところを求めて入った映画館で観たルイ・マルの「恋人たち」に始まり、数年後にある地下劇場でマックス・キャッスルなる監督によるB級ホラー映画に出会ってから急転する。

いやはや、難解というか、けったいというか、みょうちくりんというか、おっかしな本を読んだ。
例によって、1999年版「このミス」海外編第1位の傑作ミステリーっていうのと、タイトルに映画って入ってるし、映画製作の業界内で起こるサスペンスなのかと思ったら、・・・やー、確かにそうなんだけど、でも違うー。
そんな理由で図書館に予約。届いたよってんで行ってみれば、出てきたのはA5版で厚さ22㎝。570ページのシロモノだった。しかも開けてみれば、2段組で文字がびっしり。これは2週間の貸し出し期間では絶対に読めん!と、即行思った。事実、1ヶ月以上かかった。こんな本に次の予約が入っているわけはなく、余裕で延長は出来ましたけどね。それにしても、それはボリュームだけの問題ではなく・・・。

作品自体はクズ映画の域を出ないとしても、その映画から感じる恐怖感、嫌悪感に強烈に惹かれて、彼の作品をもっと観たいと思った主人公だが、マックス・キャッスルは何本かのホラー作品を残して映画界からふっと消えてしまった。彼の消息と映画に隠されたここまで惹かれる魅力の謎を辿る、主人公の追跡が始まるわけだがー。

こういうミステリーなの?いつ事件が始まるのかと思って読んでいて、途中ではたと、自分の思い違いに気がついた。だってミステリーって言ったじゃん~。冒頭からずーーーーーっと、主人公の映画にはまっていく青春小説みたいな展開なのだ。それはそれで面白かったりするんだけどね。
ところが、それが中盤から怪しく変わっていくのだ。青春期の熱くエロティックな恋人との関係から、彼女が映画に精通していたために、ずぶずぶとその奥義に踏み込んでいくところから、マックス・キャッスルなる監督作品の不気味な仕掛けの究明に躍起になっていくあたり、だんだん、どろっとしたどす黒いものが全体に漂ってくる。

マックス・キャッスル作品はホラー、スプラッター系にエログロが混じった猟奇的で不快感100%な映像満載。さらに、映像にあらゆるトリックを隠すことで、観る者に嫌悪感、恐怖感を与えることに成功していたらしく、今でいうサブリミナル効果や、それ以外の不可視な部分に細工を施していたことを主人公は突き止める。キャッスルの消息を辿り、関係者に会い話を聞くうちに、現れてきたのは・・・宗教であった。

こうなると私は困る。途中からもしかしたらと思っていはいたが、まんまと宗教に関する記述になると途端に読む速度が・・・。

かいつまんで言うと、この教団は異端で正道のキリスト教から根絶の扱いを受けてきたようで、その教義たるや・・・よくわからんが変なのだ。普通じゃない。その最たるや主な活動が、孤児を集め教育を施して世に放つことで・・・何を企んでいるかは・・・である。
その一端がマックス・キャッスルの映画技術であるというわけだ。万人の見る映画に細工が施されてそこに怪しい宗教の意図が絡んでいるとしたら?てなわけだね。
ハリウッドの内幕事情や政治も微妙に絡み、挙句の果てに怪しい宗教団体の世界に足を踏み入れてしまった主人公の運命やいかに!みたいな話である。

途中まで読んでいて、宗教の絡むミステリーっていうと(まだその時は、これがミステリーなのか?と思ってたけど)、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出した。宗教描写やその歴史、教義にまつわる記述は、内容は全然違えどもまさにそんな感じ。眠くなるし、進まないし、わっかんね~と思って読んでいた(笑)。

もうひとつ目立った特徴が、それも大きな特徴が、中心となるマックス・キャッスルとその一派による映画作品がおっそろしくエログロなところだ。彼の後継者の若い監督が出てくるのだが、彼の作品がキャッスルを凌ぐ強烈なグロ!この描写は嫌な人はホントに嫌だと思う。
一方、主人公の実生活のエロ描写がまたおっかしい。いや変な意味じゃなくて・・・かわいいもんなのだな。主人公の恋愛に関する部分はちょっとした恋愛小説の趣もあるから、この作中においてはちょっと驚き。しかしながらこの対照的なところも実は話の核に微妙に関係しているような気がするんだけど。

“フリッカー”とは映像に現れるちらつきのこと。人間がこれを長時間見ていると疲労、眩暈、吐き気をもよおすのだそうだ。言ってみれば、キャッスルは作品の中にこの技術をはじめとするトリックを用いたわけだ。このいろんなトリックが文中に現れる。
また、30~50年にかけての映画業界をも舞台としているため実名の作品、作家、ましてや監督までも登場し、業界の裏事情、トリビアもふんだんにある・・・はず。まあ、どこまでがホントでどこから嘘か私にはそんなことは知らぬ存ぜぬで、まったくピンと来ないので、前述のトリック類やその時代の作品に深い映画通の人が読めばもっと面白いのではなかろうかと思う。

苦労はしたものの読み終わってみれば、ストーリーとしてましてや最初は懐疑的だったミステリーとしてもまあ、面白かったといえるみたいだ。傑作!と私には言えないが、なるほどこの緻密さ、深さを思うとそう言われて然りかと。エンタメ性には欠けるが、そういう意味ではやっぱり「ダ・ヴィンチ・コード」を思わせるかもね。

そう、かなり読みにくかったのとエンタメ性に欠けるためだと思う。いつもの私の読み方である妄想キャスティングはまったく思い浮かばなかった。楽しく映像が浮かんでこないのが大きい。浮かんでも、自分の好きな役者の顔にならない。全然知らない西洋人の顔?(笑)。映像化で観たい気にならなかったってことだろうねぇ。

しかし疲れたよ。次は軽い恋愛ものでも読もう。

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