旅愁2007年07月29日 17時07分47秒

旅愁(1950)
旅愁 MANUALE D'AMORE
1950 米 監督:ウィリアム・ディターレ
ジョセフ・コットン ジョーン・フォンテーン ジェシカ・タンディ

ローマで知り合ったコットンとフォンテーンが乗り合わせた飛行機が故障でナポリに着陸。出発までふたりで観光を楽しむが乗り遅れてしまった。数日滞在することにしたところ乗り遅れた便が墜落。新聞に二人が死亡したと伝えられる。

クラシック映画を取り上げるのは初めてだろうか?役者が気に入らないとなかなかはまれないのでそう多く登場することはないだろう。なのでこれはジョセフ・コットンが結構好きだからなのだ。
今まで観ていたのがたまたまサスペンスばかりだったからか冷たい印象でそこが好きだった。そんなコットンのラブストーリーをはじめて観た。なかなかカッコいいではないか。スーツ姿はいつものコットンだがナポリでカジュアルな格好になったら、まあ素敵♪もっと観たいかも。

ジョーン・フォンテーンは姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドの個性的な印象と違って美人女優~って感じだがそこが弱いのかもしれない。私はこの手の女優の顔ってなかなか見分けがつかないのだ。デボラ・カー系の顔。
若い頃のジェシカ・タンディを見たのもはじめてだったかも。「鳥」よりも10年以上前。面影はある。気が強そうな美人だけど役柄は全然違った。

以下、結末に触れています。ご了承ください。

離婚に踏み切りたかったコットンは死亡記事をいいことにフォンテーンにナポリで新しい人生を始めようと言う。これから開けるはずだったピアニストとしての将来を捨ててその言葉に乗ってしまった彼女にとって、果たしてそれだけの価値がある恋だったのだろうか?
・・・でも、これが恋なのねん♪と思ってしまった私。

風光明媚なイタリアでの生活は白黒でも明るさを感じ、二人の顔には光が差していて眩しいくらい。実際には隠遁生活であり、コットンが知り合いと遭遇しそうになったために仕事も諦めたりと決して自由なものではない。その暗さを隠したうえで幸せを演じようとするからなお必要以上に明るさを感じる気がするのか・・・。

コットンのさばさばした決断がどこまで本当のものなのか、それが最後までよくわからなかったのだけど。コットンに振り回されて結局、結末まで自分の成功を捨て去ることになった彼女にとっていいことなんか何もなかった恋のように思える。

50年という時代にしてはかなり大胆なストーリーでちょっとびっくりだったんだけど、事実が知れてからのコットンの妻の心情にまず驚いた。
「生きていてくれてよかった」と言い、正式に離婚に応じる。現在だったらとても考えられないと思うのは私だけ?しかも逃げも隠れもせずに二人で生きていけるという時になって、やはり無理だと感じるフォンテーンだが、自分の成功を目前にしてそれすら投げ捨てて彼から遠くへ去ろうと旅立つ。コットンはあの後どうしたんだろう?追いかけたりしないわけ?この結末はこの時代ならではなのか~?
あまりに綺麗すぎる終り方。きっぱり、あっさり!これが美しい結末なのか?納得できるのか?

最初はそういうものなのかと思ったけど、よく考えるとなんだか腹立たしい。本当にこれでいいのかっ?(くどい)
待て待て、そんなに怒ってどうする。この恋はアメリカでの現実の世界ではうまくいかないとフォンテーンは感じたのだ。イタリアだったから成立したのだ。だからクラシック映画なんじゃないか。50年代だからこれが美しい悲恋の物語なのだ・・・多分。(笑)