「モープラ 男を変えた史上の愛」 ジョルジュ・サンド ― 2007年06月19日 09時36分04秒
「モープラ 男を変えた史上の愛」 ジョルジュ・サンド
MAUPRAT
by George Sand
(藤原書店)
*ジョルジュ・サンド セレクション 第1巻
山賊と成り果てた没落貴族の嫡男ベルナール・モープラは、その人殺しの一族にもれず粗暴な人間であったが、17歳のある日、従妹のエドメに出逢い激しく一目ぼれする。野獣のような彼は彼女のために生まれ変わる決心をする。
映画「ママの遺したラヴソング」で「モープラ」の中の一節が使われていた。
“We cannot tear out a single page of our lives,
but we can throw the whole book in the fire.”
-わたしたちは人生の1ページといえども破くことはできませんが、
本自体を火にくべることはできます。-
映画を観ている時にわかっていたわけではなくプログラムで知った。ジョルジュ・サンドなんて名前は知っていても読んだのは初めて。フランス文学なんていつ以来だろう・・・。
ジョルジュ・サンドというと多くの著名な男性と恋愛関係をもったことでも有名。詩人のミュッセ、音楽家のリストにショパン。ジュリエット・ビノシュ、ブノワ・マジメルの「年下のひと」はミュッセとの関係を、「ソフィー・マルソーの愛人日記」はショパンとサンドとソランジュの関係を描いた作品でソフィー・マルソーはソランジュ役だそうだがこれは未見。
さて本の話に戻るがそんなサンドの作品は全体的に恋愛小説なのかなー。「モープラ」 の主人公ベルナールは鬼畜で悪名高い没落貴族に生まれ育つ。そんな彼がひとりの女に恋し、彼女に見合う男になるために教育を受け、感情を抑える術を学び、人間的に成長する。「男を変えた史上の愛」という副題のとおり長年に渡った、一人の男の変身の物語だ。
無教養で粗野、人を人とも思わない少年のベルナールが愛した最愛の女エドメは彼と結ばれる運命にあることを感じながらも、野獣のような彼をそのまま受け入れられない。そこで彼に教育を課し、教養を積んで自分に相応しい人間になれと強制する。そこで彼は生まれ変わりに等しい猛勉強を始めるわけだ。
ベルナールがどうしてそこまでってくらいこのエドメにベタぼれ。感情が高ぶって彼女の膝にしがみつくわ、泣き崩れるわ。かと思えば彼女にそっけなくされるのが死ぬほど苦しいくせに、そうされるのは自分に非があるからだと思い、彼女に嫌な思いをさせないために、自己鍛錬のために彼女から遠く去って行く。離れている間も一時も彼女を忘れることはなく、日々思いを募らせて書く手紙も熱烈そのもの。現代の私たちからすれば・・・ちょっとイッちゃってて怖い・・・。
またこのエドメっちゅう女が恐ろしく自尊心の高い女で、それに本気でつきあうベルナールもどうかと思うが、高いハードルを突きつけて、成長を見せていく彼に素直に喜んだかと思うといきなり突っぱねる。非常に勝気で短気の扱いにくい女!
なんだふたりは似たもの同士じゃんか。そこがこの物語の別のテーマ。実はエドメも同じ一族の人間で本家のモープラの分家の娘。この分家の方が分別もありまっとうな暮らしをしてきたものの元は同じ野蛮な血が流れていると意識している。この血統を分家の人々は教育によって抑制することを学んできたのだ。
彼女はベルナールの内に矯正可能な誠実なものがあることを見出し希望を持ったらしいが、ベルナールは持って生まれた短気で凶暴な部分と教育によって培われた抑制の間で幾度となく苦悶する。
フランス革命目前の誰もが変身を願ってやまない激動の時代。パリの社交界や独立戦争当時のアメリカ。当時の思想や怪しい動きのある宗教を背景に一人の男の自身の激動の半生を描いた歴史小説でもあり、暗黒小説でもあり、教養小説でもあるようなやっぱり恋愛小説だろうか。
久しぶりの純文学。しかもフランス文学。文体の重さ、歴史的背景を確認しながら読み進めるのに最初は苦労したが、後半の大事件突入後は嘘みたいにペースが上がりずんずんと読めてしまった500ページ。
現代社会に生きる者からすれば受け入れ難い話ではあるが読み終えてみればなかなか面白かった。人間としての変身と教育というテーマも意味深いものがあるかもしれない。
映画というきっかけがなければ読まなかっただろうこの本。今思うと「ママの遺したラヴソング」も主人公が勉強を始めて変身していく話だったな。・・・使われた「モープラ」の一節も繋がるし、そういうことだったのか?・・・何を、いまさら。(笑)
MAUPRAT
by George Sand
(藤原書店)
*ジョルジュ・サンド セレクション 第1巻
山賊と成り果てた没落貴族の嫡男ベルナール・モープラは、その人殺しの一族にもれず粗暴な人間であったが、17歳のある日、従妹のエドメに出逢い激しく一目ぼれする。野獣のような彼は彼女のために生まれ変わる決心をする。
映画「ママの遺したラヴソング」で「モープラ」の中の一節が使われていた。
“We cannot tear out a single page of our lives,
but we can throw the whole book in the fire.”
-わたしたちは人生の1ページといえども破くことはできませんが、
本自体を火にくべることはできます。-
映画を観ている時にわかっていたわけではなくプログラムで知った。ジョルジュ・サンドなんて名前は知っていても読んだのは初めて。フランス文学なんていつ以来だろう・・・。
ジョルジュ・サンドというと多くの著名な男性と恋愛関係をもったことでも有名。詩人のミュッセ、音楽家のリストにショパン。ジュリエット・ビノシュ、ブノワ・マジメルの「年下のひと」はミュッセとの関係を、「ソフィー・マルソーの愛人日記」はショパンとサンドとソランジュの関係を描いた作品でソフィー・マルソーはソランジュ役だそうだがこれは未見。
さて本の話に戻るがそんなサンドの作品は全体的に恋愛小説なのかなー。「モープラ」 の主人公ベルナールは鬼畜で悪名高い没落貴族に生まれ育つ。そんな彼がひとりの女に恋し、彼女に見合う男になるために教育を受け、感情を抑える術を学び、人間的に成長する。「男を変えた史上の愛」という副題のとおり長年に渡った、一人の男の変身の物語だ。
無教養で粗野、人を人とも思わない少年のベルナールが愛した最愛の女エドメは彼と結ばれる運命にあることを感じながらも、野獣のような彼をそのまま受け入れられない。そこで彼に教育を課し、教養を積んで自分に相応しい人間になれと強制する。そこで彼は生まれ変わりに等しい猛勉強を始めるわけだ。
ベルナールがどうしてそこまでってくらいこのエドメにベタぼれ。感情が高ぶって彼女の膝にしがみつくわ、泣き崩れるわ。かと思えば彼女にそっけなくされるのが死ぬほど苦しいくせに、そうされるのは自分に非があるからだと思い、彼女に嫌な思いをさせないために、自己鍛錬のために彼女から遠く去って行く。離れている間も一時も彼女を忘れることはなく、日々思いを募らせて書く手紙も熱烈そのもの。現代の私たちからすれば・・・ちょっとイッちゃってて怖い・・・。
またこのエドメっちゅう女が恐ろしく自尊心の高い女で、それに本気でつきあうベルナールもどうかと思うが、高いハードルを突きつけて、成長を見せていく彼に素直に喜んだかと思うといきなり突っぱねる。非常に勝気で短気の扱いにくい女!
なんだふたりは似たもの同士じゃんか。そこがこの物語の別のテーマ。実はエドメも同じ一族の人間で本家のモープラの分家の娘。この分家の方が分別もありまっとうな暮らしをしてきたものの元は同じ野蛮な血が流れていると意識している。この血統を分家の人々は教育によって抑制することを学んできたのだ。
彼女はベルナールの内に矯正可能な誠実なものがあることを見出し希望を持ったらしいが、ベルナールは持って生まれた短気で凶暴な部分と教育によって培われた抑制の間で幾度となく苦悶する。
フランス革命目前の誰もが変身を願ってやまない激動の時代。パリの社交界や独立戦争当時のアメリカ。当時の思想や怪しい動きのある宗教を背景に一人の男の自身の激動の半生を描いた歴史小説でもあり、暗黒小説でもあり、教養小説でもあるようなやっぱり恋愛小説だろうか。
久しぶりの純文学。しかもフランス文学。文体の重さ、歴史的背景を確認しながら読み進めるのに最初は苦労したが、後半の大事件突入後は嘘みたいにペースが上がりずんずんと読めてしまった500ページ。
現代社会に生きる者からすれば受け入れ難い話ではあるが読み終えてみればなかなか面白かった。人間としての変身と教育というテーマも意味深いものがあるかもしれない。
映画というきっかけがなければ読まなかっただろうこの本。今思うと「ママの遺したラヴソング」も主人公が勉強を始めて変身していく話だったな。・・・使われた「モープラ」の一節も繋がるし、そういうことだったのか?・・・何を、いまさら。(笑)

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